最後にコスプレしたときの思い出について

最後に、と書きましたが頻繁にしていたわけではなく、大学時代のイベントやゼミ旅行などで数回コスプレしてみたことがあるだけです。そんな思い出のコスプレはゼミ旅行のゲームで、メイドさんコスプレで友人二人と温泉街を練り歩くという企画でした。パニエの上に黒いスカートを履き、エプロンもしてお土産屋さんなどを見て歩くのは周りの人の目が痛かったですが、それはそれで楽しい思い出です。
どちらを買おうか迷った時は、プレゼント付きを買ってしまいます。例えマグネット1個でも得した気分になれます。たまにプレゼントにつられて買ってしまう事もあります。商戦にハマっているな、とも思うのですが、くじ付きの商品も楽しいです。幾つ貯めてからの商品よりも、その場でわかる「もう1本」の当たりくじ商品が増えるといいですね。
 東日本大震災の被災者に和んでもらおうと、愛知県刈谷市の元会社役員石川邦夫さん(65)と妻芳美さん(64)が、宮城県南三陸町の町総合体育館に桜の鉢植えを贈った。
 2人はヨットで日本一周をしていた昨年9月、台風を避けるため南三陸町志津川に寄港。滞在した5日間、民宿を経営する家庭で風呂を入れてもらったり、互いに料理を振る舞ったりして住民と交流した。
 その際のもてなしに感激した石川さんは震災での被災を知り、鉢植えや救援物資を積んで車で駆け付けた。
 民宿の家族は無事だったが、日本一美しいと感じた南三陸の海と町並みは変貌。がれきの山を前に石川さんはショックを受けた様子。
 それでも「日本人にとって楽しい思い出が詰まっている桜を見て、元気になってもらえればうれしい。復興したらまたヨットで南三陸を訪れたい」とエールを送った。

 岩手県大船渡市の蛸ノ浦漁港に停泊する北前船の復元船「気仙丸」が東日本大震災の被害を免れ、ほぼ無傷で残った。他の多数の漁船は津波にのみ込まれただけに、関係者は「海に携わる者たちの希望になる」と、地元船大工の技術の粋を集めた古船が生き残ったことに元気づけられている。
 地震発生から約40分後、蛸ノ浦漁港は高さ11メートル以上もの津波に襲われた。漁港周辺の水産加工場や民家は壊滅的な被害を受け、漁港に停泊していた漁船など約50隻も流された。残ったのは気仙丸を含め3隻だけだった。
 気仙丸は江戸時代の海運の主役で、大船渡などのフカヒレや干しアワビを江戸方面に運んでいた北前船の復元船。全長18メートル、幅5.8メートル、重量27トン。北前船の復元船は国内に4隻あり、そのうち航海可能なのは気仙丸を含め2隻だけだ。
 「まさか無傷だったとは信じられない」と話すのは気仙丸の設計・建造を指揮した船大工の棟りょう新沼留之進さん(80)。被害を逃れた要因として、ロープを4本使ってしっかり係留していたほか、「船の構造は膨らみを持ち、厚い板材を使用していたので、津波の衝撃を吸収できた」とみる。
 新沼さんの指導の下、船の設計・建造を担った気仙船匠会も「多くの人が亡くなり、たくさんの船も失った中、後世に伝えたいものが一つでも残ったことは大きな意味がある。地域の希望であり、力になる」と喜ぶ。
 気仙丸は1992年に釜石市などを会場に開かれた三陸・海の博覧会に出展するため、大船渡商工会議所が中心となって発注した。(宮崎伸一)

 宮城県大崎市鳴子温泉の住民組織「鬼首地域づくり委員会」(大場雅之委員長)が10日、石巻市牡鹿地区の住民を鬼首のレストランや旅館などに日帰りで招き、食事や入浴、散髪を無償でサービスした。
 委員会メンバーが被災者約40人をバスで迎えに行った。レストランに畳を敷いてくつろげるスペースを用意し、イワナや温泉卵など地元食材をふんだんに使った食事でもてなした。
 髪を切ってもらった石巻市谷川浜の漁業渥美政雄さん(34)は「温泉にも入ったし、さっぱりできた。本当にありがたい」と話した。
 震災発生時、鬼首の住民5人が牡鹿地区で被災し、数日間、地域住民らに炊き出しなどで助けられたという。恩返しに招待をと企画し、7日も被災者約50人を招いた。

 明治三陸津波(1896年)で岩手県田野畑村の羅賀地区に運ばれてきた「津波石」に、東日本大震災の津波が再び到達した。石が動くことはなかったが、羅賀の住宅計150軒のほぼ半数が全壊。あらためて津波の威力を見せつけた。
 津波石は海岸から約360メートル、標高約25メートルの場所に2個ある。重さはいずれも約20トン。30メートル以上ともいわれる波高で集落を壊滅させた明治三陸津波の際、現在地に打ち上げられた。過去の調査では、もともと海底にあった岩石とされている。種類は水成岩。
 「子どものころ、津波で運ばれた石と聞かされて冗談だと思っていたが、本当だったのか」。津波石がある場所の近くに住む漁師の山根峯行さん(76)が驚く。
 羅賀では、がれきが集落の斜面を押し上げられ、津波石の手前に積み上がった。山根さんの自宅前に立っていた明治三陸津波の犠牲者を鎮魂した石碑も流され、真っ二つに割れたという。住民約450人のうち9人が行方不明のままだ。
 津波の破壊力を伝え続ける津波石。昭和三陸津波(1933年)の翌年に生まれた山根さんは「がれきで勢いは止まったが、今回の津波は明治、三陸の時より強力だったかもしれない。恐ろしい力だった」と話した。(東野滋)

 岡崎・籠田公園近くのギャラリー「Masayoshi Suzuki Gallery」(岡崎市康生通南3、TEL 0564- 28-1317)で4月9日、「TOUGEN 現代作家による桃源郷へのアプローチ」が始まった。(岡崎経済新聞)

【画像】 地下室に展示された作品「FOREST ANIMALS」/山田純嗣

 岡崎市美術博物館(岡崎市高隆寺町、TEL 0564-28-5000)で同じく9日から始まった企画展「桃源万歳! 東アジア理想郷の系譜」とテーマを合わせ、岡崎のアートシーンを盛り上げようという試みだ。

 桃源郷とは、5世紀ごろ中国の詩人で陶淵明(とうえんめい)が詠んだ「桃花源記并(ならびに)詩」の中で理想の世界として書かれて以来、奈良時代の日本に伝わり、現代まで、その世界観は人々を魅了し続け、多くの文人やアーティストが俳諧や絵にしてきた題材だという。

 同ギャラリーで展示する作品は大崎のぶゆきさん、志賀理江子さん、関智生さん、丹羽誠二郎さん、三宅沙織さん、山田純嗣さんら現代アート作家6人の手によるもの。グラフィックデザイナーで同ギャラリーオーナーの鈴木正義さんは「インスタレーションや映像のほか、印画紙に焼き付けただけでなく後から技法に工夫をして加工したものもある」と話す。

 市美術博物館の館長や学芸員とも親しく、岡崎のアートシーンを盛り上げるため、同館の企画展に協力したという。9日に開かれたオープニングパーティーには市美術博物館の芳賀徹館長も出席。来場した作家たちと歓談した。

 同展は芳賀さんがかねてから温めていた企画。「西洋にもユートピア思想はあるが、桃源郷は東洋版の理想郷。作者が桃源郷だと思ったものなら、それが現実世界のものや多くの人が不快と感じるようなものであっても桃源郷と言える」と話す。桃源郷をテーマにした展示は海外でわずかにあるものの、日本・中国を通しても初の試みだという。

 江戸時代中期(1781年)に与謝蕪村が描いた「武領桃源図」、国内では30年ぶりの公開となる中国・清の時代(1695年)に査士標(さしひょう)が描いたという「桃花源図巻」(米国ネルソン・アトキンス美術館蔵)など約120点を展示。夏目漱石や武者小路実篤らの小説、諸星大二郎さんの漫画なども展示する。

 現代の作家からは吉本作次さん、今村哲さん、関智生さん、三瀬夏之介さん、奥村美佳さん、横内賢太郎さんら6人が同展のために描き下ろした作品も。

 ギャラリーの営業時間は12時?19時。月曜・火曜・水曜定休。入場無料。ほとんどの作品は販売も行う。市美術博物館の開館時間は10時?17時。月曜休館。観覧料は、一般=1,000円、小中学生=500円。いずれも5月22日まで。


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